ユニバーサルマインド? 
点字ブロックの発明
点字ブロック写真 点字ブロック写真
点字ブロック 線状ブロック
線状ブロック
点状ブロック
点状ブロック
左の、おうとつが線状の物が進行方向を示す「線状ブロック」
右の、おうとつが丸い物が注意を示す「点状ブロック」

道路とのコントラストを強くするため黄色が多いですが、他の色もあります。

※正式名称「視覚障害者誘導用ブロック」
 「点字ブロック」は「(財)安全交通試験研究センター」の登録商標です。

点字ブロックは2001年に、日本工業規格(JIS)に制定されましたが、各都道府県、年代によって若干形状が異なります、設置方法等の全国的な統一基準は残念ながらありません、最近設置された物はそうでもありませんが古い物になると注意をを示す点状ブロックが注意すべき場所ギリギリに敷設され、かなり危険ではないかと感じる事があります、注意する地点がら○○センチ後方への敷設すべき等の指針が最低でもほしいものです。

法律等の規制により施設でのバリアフリー化が急激に進んでいますが、フロアなどに貼り付けるシールタイプの物が増えて来ました、しかし、耐久性があまりないようで、めくれた部分につまずいた事があります・・・

一部の方が点字ブロックは危険であると訴えておられます、確かに私は足を上げずにすり足状態で歩いていますので上記の様に点字ブロックにつまずく事がありますし点字ブロックの上を歩くことは困難です。

しかし、私は目が見えますのでよけたり気をつけて通らなかった私の不注意です、点字ブロックは全盲方たちのためだけにあるのではありません、重度の視覚障害の方でも強いコントラストが分かる場合、黄色は非常に目立ち便利なものです、歩道が狭かったり障害物によりブロックの上を車椅子等で通行しなければならず、それが危険であるならば糾弾する対象はモラルや行政ではないか?点字ブロックより高い段差が路上では散在しています、私には理解不能です。

よく足の裏だけで点字ブロックのおうとつを感じるように思われがちですが、白杖との併用で点字ブロックをたどる事によりその効力を発揮します。


現在では、形を変え世界中で利用され、毎日眼にする点字ブロックですが、世界初の点字ブロックを開発をしたのが、一個人の日本人、三宅 精一さん((財)安全交通試験研究センター元理事長)であることは、余り知られていません。

今回は、点字ブロックの上に障害物を置かないで下さい、などと言う当たり前の話では無く、映画、ドラマや教科書に載ってもおかしくない、点字ブロック誕生の話を・・・(敬称略)

三宅精一 1926年 岡山県倉敷市、青果店の長男として生まれる       

戦後、岡山市に移り住み旅館業を営みます、その当時よりあれこれ工夫する事が好きで、町の発明家として有名だったそうです、そして無類の動物好きで、その当時、非常に珍しいセントバーナード犬を、つがいで飼っていました、このセントバーナード犬が、点字ブロック誕生の大きなきっかけになります。

1963年頃、そのセントバーナードに子犬が生まれた事を、風の便りに聞き、譲り受けたいと使者を出したのが生涯の親友、岩橋英行((社)日本ライトハウス元理事長)でした、そのころ精一は、交差点で白杖を持った一人の視覚障害者が道を横切ろうとした際、クラクションを鳴らされその場にうずくまってしまう危険な光景に出合った、以後発明家精一は、視覚の不自由な方が安全に歩行出来る方法に没頭します。

又、そのころ、セントバーナード犬との縁で、親交を深めていた、日本ライトハウス理事長の岩橋は、ライトハウスや視覚障害の事を熱く語り、すでに点字ブロック構想をあたためていた精一は、運命的な物を感じ、一気に点字ブロック構想が加速する事になる、そして何より、親友である岩橋は、父武夫(日本ライトハウス創始者)と同じく、網膜色素変性症により、あと5〜6年で失明すると医師に宣告されていたことが、大きな原動力になっていたと思われます。

危険な場所と安全な場所を判別する方法のアイディアは、岩橋の「コケと土の境が靴を通して分かる」との一言から生まれ、なにか突き出たブロックを作ろうとした、建築会社勤務の経験がある弟、三郎((財)安全交通試験研究センター現理事長)と共に、試行錯誤を繰り返し、私財を費やし、1965年、自宅を開放し「安全交通試験研究センター」の看板をかかげ、点字ブロック第一号が完成しました。

岩橋の影響を強く受けていた精一は、視覚障害者の「人間としての自立」そのための「単独安全歩行」、安全誘導システムの全国展開を考え、点字ブロックを日本の各都市、駅に敷き詰める、という壮大な夢に向かって険しい道を歩みます。

1967年、精一は、点字ブロック普及の為、岡山県盲人協会会長の」岸本重太郎を訪ねる、しかし、物売りのたぐいと思われ追い返されてしまう、だがその程度でめげる精一では無い、その後何度も足を運び岸本を訪ねる、やがて岸本は点字ブロックの機能を理解し、精一の志に感銘し、良き協力者として、点字ブロックの普及につとめる、更に、精一は点字ブロックの普及の為に、岡山県、建設省(現国土交通省)と何度も交渉し、ついに、1967年3月、岡山県立岡山盲学校の近く、国道2号線の横断歩道前に、精一が寄贈した230枚の点字ブロックが設置されました、これが世界初の「視覚障害者誘導用ブロック」です、完成式を前に、岩橋によりテスト歩行が何度も行われたそうです。

点字ブロックの理解の為に、県や市に、点字ブロックを寄贈していった、更に、振動で信号の色を知らせる、振動触知式信号機を開発、寄贈し、その開発費に多大な私財を更に投ずる事になる、しかしながら注文はおろか、問い合わせの電話すら無い状態で、経済的に非常に苦しい時代がつづきます、障害者を理解するユニバーサルマインドなど皆無で、今では差別用語となっている障害者を表す言葉が、公然と使われていた、そんな時代でした。

1970年、一本の電話から転機が起こりました、電話の主は東京都道路局安全施設課で、点字図書館や盲人福祉センター、東京へレンケラー協会などの視覚障害関係の施設が集中した、高田馬場駅東側一帯に点字ブロックを採用する、一万枚でも予算計上可能との連絡でした、1973年厚生省(現厚生労働省)が障害者福祉モデル都市事業を制定、首都東京での敷設がモデルケースとなり地方自治体へ広がる。

道路以外でも、視覚障害者の転落事故防止のため、鉄道のホームの白線も、現在では点字ブロックに置き換わっています。

長年の苦労、心労により、1976年入院、そして1982年、私財を投じ、人生の大半を公益的事業にささげた三宅精一は、志半ばに帰らぬ人になりました、享年57歳。

現在、外出時には必ずと言っていいほど眼にする点字ブロック、発明者の三宅精一の名は知られていませんが、少しずつ敷設枚数は増加しています、三宅精一の見た夢が早く現実となることを切に願います。


※岩橋英行著「白浪に向いて/三宅精一を語る」(廃刊)が復刊ドトコムで復刊リクエスト投票が行われています、復刊リクエスト投票、よろしければ投票お願い致します。
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