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障害は個性か?
「障害は個性」との言葉で思い出されるのは大ベストセラーになった乙武さんの「五体不満足」でしょうか、実は私、この本を読んでいません、何となく機会が無かったのですが決してこの本の批判ではありません。

この本を読んでいない私を含め、多くの方が「障害は個性」=乙武氏の言葉と思っているように感じますが、後のインタビューで乙武氏は、「障害は個性などとは言っていない、この言葉が一人歩きしている」と発言されています。

私の記憶では、本の帯や宣伝文句に「障害を個性としてとらえ・・・」とのような広告文があったような気がします、それにより障害者本人である著者の乙武氏の言葉として広まったようです。

「個性的な障害」、これでは障害者全員に当てはまり日本語として成り立たない、「障害は個性」、障害者自身が言う事により、負けてない、乗り越えて、的な美談になってしまう。

では障害は個性では無いのか?
う゛〜ん、個人の特徴の1つでは有ると思いますが個性と言えるかどうか・・・、たとえば人が名前を知らない私を指すとき、「背が高くて足が悪い人」で通じます、これは特徴であり個性ではない。

若い頃は個性と奇抜を混同し、派手な格好をしては自分は個性的などと勘違いしていました、本当の個性とは見た目ではなく内面からわき出る感性ではないか。

その感性を形成する1つに障害があるかもしれないが、障害そのものが個性であるはずがない、この言葉の一人歩きにより障害者観に若干の弊害があるように思う。

障害は個性であると言える時代が来ることが理想と思いますが、今現在では時期尚早、この言葉により様々な問題を飛び越えて完結してしまっている、300万人もの人がこの本を読み、乙武氏の個性的な生き方に賛同している訳だからその影響力は大きい。

障害者が主人公のドラマなどは、どれも努力、克服、感動、涙、それでも生きる的な脚色が加えられるため、刑事が刑事ドラマを見て一笑に付すように、私が見るとまったく感動しません、と言うより嘘っぽくて見ません。

しかし、この様な番組が高視聴率を稼ぎ、障害を扱ったドキュメンタリー番組などは福祉関係者や当事者で無ければ見ない、ドラマに感動を求めるけど現実は見ない、障害者は努力し明るく感動的に生きていないと一人前の障害者ではないとの風潮が少なからずある。

乙武氏のように社会やマスコミに登場し障害者への理解が深まる事はいいことなのですが、常に「感動」が無いと興味を引かない事は「24時間テレビ」を見れば明らかですね・・・。

「五体不満足」を読んでませんので書評ではありませんしアンチ乙武氏でもありません、只、「障害は個性」と言い切る障害者を含めた様々な人がいることに違和感を感じ少々不安に思います。


2006年9月 チョット追記

10年以上前の話ですが、当時、医事として働いていた病院の先輩に当時の国土省にお勤めのご主人を持つ方がいらっしゃいまして、その方の話が今でも忘れられません。

結婚されて間もない頃、アメリカ(だったと思う・・)の田舎町にご夫婦で数年赴任されていたそうです、その町で、障害者が車椅子などではなく、道路に直接這って移動されていたそうです。

最初に見たときは本当にビックリしたと言われてました、そこで現地の人に「何故手を貸してあげないのか?」と尋ねたそうですが帰ってきた答えは「彼にとってはアレが普通で日常なんだ、手を貸すなんて彼に失礼だよ」と・・・現在より20年以上の話ですが、まあなんとも凄い話でした。

「障害が個性であるとの認識が浸透しつつあり、一般の方が障害を個性のひとつのように自然に捉え接するようになってきたように思えてきた、障害が個性に思えるような自然さは良いように思えます」とご指摘がありました、言ってることが矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、私もそう思います。

少し言葉足らずで障害は個性では無いとの思いばかりが前面に出てしまいました、上記の事を例として取り上げましたが、欧米と日本を比べる事は文化が違いますのでなんとも言えません、しかし、日本では「人を思いやる心」と言うすばらしい文化があります。

メガネをファッションとしてかけている人はいますが「目が悪くてメガネをかけている、これは個性だ」と言う方いません、逆に、車椅子や白杖はメガネの様な物と言われる方がいます、この差は何かと考えますと、メガネはありふれた物で、車椅子は特殊な物であると言う「絶対的な数の差」です、もし、障害者の数が健常者より多かったら「障害は個性」などと言う言葉が生まれただろうか?又は「健常は個性」という言葉も・・・

障害があると何らかの支援が必要な事がほとんどです、そのなかでお互い自然に接する事が出来るような時代が理想です、その時には「障害は個性」などと誰も言わないでしょう。

障害が個性に思えるような自然さは良いのですが、「障害は個性」=感動、美談との風潮を危惧し、長々書き綴ってしまいました、言葉遊びのようで申し訳ありませんが、先人の個性的な障害者が社会進出する事で、ずいぶん世の中変わってきたと思います・・・感謝。

2006年11月更に追記

乙武氏はスポーツライターの仕事を封印して、小学校の教諭を目指しているとのニュースを見ました、欠格条項の名残により様々な壁に当たると思いますが、絶大な知名度とご本人のパワーがある乙武氏ですから、社会が黙っていないでしょう。

体育の授業などは乙武氏独自の構想があるようで、旧態依然の教育現場に一石を投じる事になるでしょう、人種、障害者、高齢者、病む人、健常者etc・・・すべての人で人間社会は形成されています、重度の障害者が教師にいてもなんら不思議はない、しかし、その現実は乏しい。

私の未来の夢は、子供向けのアニメやドラマに、主人公のお友達に、車椅子や白杖の子などの障害を持った子供がいる、そんな時代、それが自然だと考えるし、障害者が主人公のドラマは不自然だと考えています。

乙武氏の教育現場への挑戦は、又、感動的な話として取り上げられることが多いでしょうが、私は別の意味で社会が動くような気がして非常に期待しています。
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