重い障害、難病を持つ子の親になるとはどのようなことか? 結婚し、やがて妊娠、男の子か女の子か(今は事前に分かってしまいますが)、名前はなんにしよう、こんな子供に育てたいなどと、新しい命に期待と不安の入り交じった高揚した喜びを感じる事でしょう、しかし、出産が近くなるにつれ、特にお父さんは「男でも女でもどっちでもいい、母子共に健康に生まれてくれ」と祈るような気持ちで願う事は、お子様をお持ちの方なら思い当たる事ではないかと思います。 厚生労働白書によりますと、18歳未満の何らかの障害がある子供は約33万人、総数では、身体障害者351万6千人、知的障害者45万9千人、精神障害者258万4千人、これを人口千人当たりの人数で見ると、身体障害者は28人、知的障害者は4人、精神障害者は21人となる、複数の障害を併せ持つ者もいるため、単純な合計数にはならないものの、およそ国民の5%が何らかの障害を有していることになります。 平成17年1月に内閣府が実施した「障害者の社会参加に関する特別世論調査」の結果によれば、「自分自身又は家族等身近な親族」に障害のある人がいたことがあるという回答が約2割を占めました、決して特別な事ではありません。 今はもちろん違いますが、私は18歳越えても主治医の関係で30歳くらいまで小児科を受診していました、そこで見てきた数々のご家族、お父さんたちのほうは自分も男なので何となくわかります、「いつもまかせっきりで申し訳ない、オレは経済的な物を支えているから我慢してくれ、でも何かあったらオレが必ず守る」的な雰囲気をかもし出しておられます。 しかし、これは過去の話で、最近のお父さん方は積極的に育児に参加しておられます、その証拠に以前は障害児の日々をつづった手記などの本は母親のものばかりでしたが、ホームページ、ブログも含めて父親の物が増えてきました。 「母は強し」と言う言葉がありますが、本当にお母さんは強い、そのころは私にも子供がいまして、顔見知りになったお母さん方とよく話をしていました、そのお母さん方には共通して「開き直り」や「情熱」では無い、言葉では表せない何かがありました。 その話の内容は世間話がほとんどですが、その中には現在の治療状況や苦労話も含まれます、我が子の病気や障害が判ったときのショック、自責の念、世間の差別、この前はもうダメかと思った、などとほかの人が聞いたらびっくりするような深刻な話を実に明るく話される。 そこに至るまでには相当の葛藤があったはずですが、悩んでいるひまが無いぐらい待ったなしの状況が、すべての事を消化吸収するかのように実に前向きでした、そして、私の障害者としての経験などを興味深く聞いていらしゃいました、少しはお役に立てたかなぁ・・・。 もちろん、そんな強いお母さんばかりではありません、思い悩み、絶望感から抜け出せず、社会からその存在を隠そうとする、最悪の場合その子と一緒に・・・、実際によくあることです、障害者に対する「配慮」により報道されないが為に、私たちが知らないだけなのです。 生まれて間もない我が子が、一生完治しない障害があると医師に宣告されたら・・・、 絶望、不幸、弱者、なんで自分の子にだけ、と言った思いを抱くことは避けられません、そしてその存在を受け入れられる様になるまでは相当の時間が必要でしょう。 受け入れたとしても悩みは尽きません、日常生活、世間の目、就学、進学、就職、自立、結婚、親なら誰でも考える事ですが、その1つ1つが困難になる、更に兄弟姉妹との関係があります、物理的に、障害がある子の方に手がかかります、親の愛情が自分に向けられていないと感じたり、我慢を強いられたりする事により敵対心を持つこともあります、やはり気をつけなければならない事でしょう。 私の兄も、子供の頃は少なからずその様な感情を抱いていたと言っていました、しかし親の愛情に別け隔てなど無いことに気がつくのは、自分も親になった時だとも、同感です、10代の頃は本当に私はくそガキでしたので、自分が親になった時、なんであの頃ひどい事を言ったりやったりしたのだろうと後悔した物です。 入院が長くなればなおのこと家族への負担が大きくなり、祖父母や知り合いの協力が無ければ乗り切れない状況が長くつづくと、家族ばかりか、本人も「自分のせいで」とストレスを感じてしまいます、30年前は難病や障害者の家族への公的な支援は皆無でしたが、現在では数は少ないですが民間、あるいは地方自治体によっては、支援事業を行っている所があります。 学校も大きな問題になります、障害の種類、程度によって盲・聾・養護学校、普通校の特殊学級(特別支援教室)、普通校、になります、私の時代は特殊学級はありませんでしたので選択枝は2つでした、しかし、教育委員会に相談すれば障害が軽度でも、ほとんど養護学校を進められれたそうです、(私は普通校に行きました) 障害が中・軽度であれば、みんなと同じ普通校がいいのか、それとも養護学校・特殊学級がいいのかは非常に難しい問題です。 (学校に関しては「特別支援学校か普通校か」で私の体験を公開しています) 義務教育まではそれなりの公的支援がありますが、高校、大学に至っては更に難しい問題になり、そのころになれば就職、自立という最大の難関が現実として見えてきます。 本来、親という物は、入学や卒業、大人への体の変化など子供の成長を喜ぶ物です、しかし障害児の親は喜びと同時に複雑な思いを感じるそうです、それは子供の成長の分、自分にも時間も経過している事です、普段は忙殺されていますが、自分が有限な存在であると思い知らされ、将来の不安を感じるとのこと。 以上、私の母と、私が出会ったパワフルなお母さん方との古い話を記憶をたどりながら書きましたが、もちろんつらいことだけではありません、障害があるから不幸になる?健康であれば幸せ?そんなことはありません、障害があってもたくさんの人にかこまれて幸せな方、五体満足でも仕事もしないニートや犯罪を犯す者、結局それぞれの人生であり、本人が幸せと感じれば幸せだし、不幸と感じれば不幸です。
以前読んだ本で題名も覚えて無く、言葉もチョット違うかもしれませんが、障害児の家族が勇気づけられれた医師からの言葉として次のような物がありました。 「これからは障害があっても大丈夫なように社会は変化している、日本がダメなら世界がある」 かなり言葉は違うと思いますが、内容はこんな感じです、「社会は変化している」この言葉は実感しています、私の子供時代に比べれば福祉は大きく変化しました、一進一退を繰り返しながらですが、お子様が成長される、10年、20年後単位で見れば確実に現在よりよい社会に進化するでしょう。 書店に行けば障害児教育の本がズラリと並んでいます、必要に迫られてかもしれませんがそれだけ需要があり、熱心に取り組まれている教師も多いと言うことです、私の時代は障害児教育の知識が皆無と言う教師がほとんどでした。 それぞれの障害、難病の家族会、友の会、が以前よりあります、私の時代は年に数度の会合やっとでしたが、今は、インターネットがあります、個人で交流サイトを運営されている方も多く、掲示板などで活発に意見交換されています、一般にはなかなか理解されない悩みを、同じ気持ちで共有出来る事は非常に心強い物です、参加しなくても記事を見るだけでも必ず何か得るものがあるでしょう、是非ご利用下さい。 そして一番重要な事は、がんばりすぎて自分を追いつめないで下さい、物理的に難しい事かもしれませんが、息抜き、ガス抜きが絶対必要です、親の精神状態を子供は敏感に感じ取ります、短時間でも結構ですので何かリフレッシュ出来る事を見つけて下さい、それが長い道のりを歩くコツではないかと思います。 隠れる障害者、隠す家族へ何となくつづいています
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